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ラスベガスでの世界3大カーショーのひとつ「SEMA」にてKAOTIK SKATERの衝撃のデビュー。
そのSKATERは同時に1万本以上のバックオーダーを抱えたという。
当時、世界の日本人、また日本への目は世界のコピーマーケットという偏見の目が常にあった。
片岡という日本人の出現は、ある意味世界からの日本人への目を変えたものだった。
翌年、ブランドKAOTIKより「MOTH」「PSYCHO」をリリース。SKATER以上の大ヒットを記録。
アメリカ、日本においてのオーガニックデザイン(有機質なデザイン)ブームの火付け役となった。
その年の世界各国からおよそ100万人が来場する「SEMA」においてのデザインホイール投票で1位を獲得した。
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「REACTOR」「MEDUSA」をリリース。REACTORはファッションホイール史上記録的ヒットなり
世界三大デザイナーの一人とされた。
話題となったのがショーが行われたラスベガスの街中を4日間、クルーザー船にKAOTIKのホイールとタイヤをつけ
爆音とともに昼夜問わず96時間走らせ世界に莫大なアピールをした。
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SEMAにおいて彼は自分が火をつけたオーガニックデザインを捨て、新しい何かをと、ビレット 鍛造という製造工法を利用し、
片岡独自の曲線を捨て、直線しかも大口怪20インチを発表。今現在続くSUVに大口怪ホイールのブームを作る。
そのデザイン性は相変わらずモラルを壊し、ユニークかつ鋭さを増やし、現在では多くのハリウッドスター、ミュージシャン、
ラッパー、ボクサー、NFLまたはNBAに関してはファッションホイール界のロレックスとして多くの有名選手が彼のホイールを愛用している。(マイクタイソン、コービーブライアン、シャキーンオニール、ジェーリーベーリー、クーリオ、トミーリー
etc…)
日本でも多くの芸能人やスポーツ選手たちが愛用している。
2000
BBS日本総代理店大手アフターパーツメーカーHINODEXと日本での独占デザイン契約を結ぶ。
翌年にはブランド「SHOCK」を立ち上げ「THRILL」「GENIC」を発表。しかし2002年 営業不振からHINODEX倒産。
片岡敗北とされる。
2002
夏、突然のMHT離脱、フリーに転向し、アメリカを拠点に世界の15社のデザインを担当。
マネージャーにヤングチョイ氏を迎え企業とのデザイン契約を取るためアジア、全米を走り回った。
2003
実兄ユージーンカタオカとプライベートブランド「SPORZA」を設立。「TANK」「BOURGEOIS」を発表。
新作「ESTRADA」は生産が追い付かない状況までになった。
しかしデビュー以来 常に片岡を悩ます自国やアジア全体のコピー文化。それを非難し続けた彼だが、
メディアに登場するたびに年々その言動や行動は荒くなり、メディアや日本の企業とのトラブルは絶えなかった。
この頃には誰にも片岡をコントロールできなくなっていた。
常に数々のトレンドを作り、新しいものを探し抜きトップを守り抜いた片岡。
多くのファンに支持され、しかしそのファンの期待とは逆に片岡は車に一切の興味がない。車の名前も知らない。
彼はデザインを製作するにあたり、車など思い浮べもしないという。自分の感情や影響を受けたものを絵画にし、
スピーカーから流れるロックミュージックを融合させ、ひとつのファッションホイールとして形にする。
そのデザインに対して鋳造、鍛造の研究をし現物を作り上げる。
しかし、それも人々を魅了し、世界のスター達すらも虜になったデザインの持ち主の魅力なのだろう。 |
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2005
片岡は芸術性を高めるために一時的にこの業界を離れる。
それはこのファッションホイールと言うものが一つの工業的なものだけではなく、
よりアーティスティックなものとしての表現方法を探していた。
この時点で彼のデザインによって製品化されたホイールの数は100作を超えていた。
自ら世界中の工場に出向き技術者たちと研究をし、また異なる芸能界や芸術家、
企業人たちの世界にも飛び込んでいった。
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2007
再始動 2008~2009年 カリフォルニアの至る所に片岡が自らデザインをしたファッションホイールの巨大看板が出現。
自らも歌舞伎メイクに自分のデザインホイールに鎖でつながれた姿でメディアやショーに現れ自分の苦悩や日本人としてを体現し話題になった。
その後もファッションホイールの開発に工業的にもまた芸術的にも違う視点より取り組んだ。
ブランド SPORZAより鍛造ホイール CNCマシーンで世界に一つしかないオリジナルデザインを求めるユーザーのためだけのホイールをいくつも開発している。
2011
活動の場をさらに広げブランドに拘らず 人種や国を超え世界中にショックを与え この業界をさらに広め
世界にひとつのオリジナルを追及しようと考えている。
2013
複数の大学にてデザインの講師など勤めまた講演活動なども行っている。
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